洪水のつめあと。
平成17年7月23日〜24日


〜その2〜
(7月24日、日曜日)

 早朝の越前大野。6時過ぎに宿を出ました。明るくなっていますが、人も車も全く通りません。真夏なのに涼しく、少し寒ささえ感じてしまうほど。小京都といわれるここ大野の町、静まり返った中を歩くと、まるでタイムスリップしたかのよう…ってのは言い過ぎかな。
 6時32分発の2番列車で出発、昨日乗った鉄路をひき返します。ひと駅ごとに乗客が増え、美山に着く時には1両のロングシートがいっぱいになっていました。美山ではほぼ全ての人が越前東郷行きの列車代行バスに乗り換えていきます。先に東郷までノンストップの直行便が通路に立つほどの人を乗せて出発し、続いて各駅停車便が出ていきます。駅前でそれを眺めていると「発車しますけど乗りますか?」と声をかけられてしまいました。
 次の小和清水(こわしょうず)までの間に上新橋という橋があり、道路はそこで足羽川をこえます。わずか6日前の7月18日、この橋のたもとに「福井豪雨の記憶モニュメント」というのができたというコトで、それを見に行くことにしたのでした。じつは私は全く気づかなかったのですが、のりのりさんが見つけておしえてくれたのでした。
 上新橋にはバス停がありますが、列車代行バスは停車しません。大野と福井を結ぶ京福バスの停留所なのですが、ちょうど次の列車までの間に2便あり、このバスを使えば下車してモニュメントを見られるというわけ。が、美山駅から上新橋は歩けそうなので、眠気覚ましを兼ねて歩いてみることにしました。
 駅を出ると、国道は線路に並行しています。1年近く列車が通っていない線路はすっかり錆びてしまっていました。途中、線路のすぐ横を通る場所で線路を眺めていると、当初乗ろうと思っていた京福バスが走り去っていきました。さらに歩くと、線路がなくなり、軌道敷はダンプカーの通路になっていました。護岸工事が終わった後なのか、川の両岸はきれいにコンクリートで固められています。
 さらに少し歩き、上新橋に到着。モニュメントは「豪雨の記憶を風化させない」と美山町が作製したもので、豪雨で流失した越美北線の「第七足羽橋梁」の橋脚・レール・枕木を組み合わせたものだそうです。「力強くよみがえる美山」の文字とともに、豪雨の記録がこと細かく紹介されていて、被害のすごさを物語っています。橋の下流ではまさにクレーンで護岸工事の最中でした。

越前大野・美山・モニュメント(クリックしてください)

 モニュメントを後にし、京福バスで2分、小和清水へ。乗客は数人いましたが、こんな乗り方をしたのはさすがに私だけでした。そりゃ、そのまま乗っていれば福井まで行けるんですから。ですが私は青春18きっぷ利用、列車代行バスにはそのまま乗れます。
 小和清水で20分ほど待ち時間ができ、列車が来ない駅や駅前をうろついていました。この駅の両側には橋梁はないので、レールは列車が走っていた時のまま。雑草に隠れてしまった線路敷を見ると、まるで廃線跡のようにも見えてしまいます。駅前の道路、駅舎の向かい側には京福バスとJRバスのポールが仲よく並んでいました。駅舎側にもポールが立っていて「乗車場所にご注意」と書かれています。その下にも何かあったみたい、とそーっとめくってみると、どうやら先月までは京福バスが代行バスを走らせていたようで、JRバスにかわるという案内があったのでした。
 発車数分前に地元の方が1名現れて、バスを待ちます。先ほどの便のように先に直行便が行けば、続行の各停便は空いてるな…と思っていると、現れたのは各停バス。この便は直行はなかったのでした。既に車内は立ち客もいて、狭い通路をようやく前の方まで進み、ずっと立って外を眺めていたのでした。駅代行の停留所に停まるたびに乗客は数人ずつ増えていきます。昨日通った時にはすっかり日が暮れていて見えなかったのですが、時折見える線路、足羽川を渡る橋梁はことごとく流されていて、あらためて水害を実感したのでした。が、昨日の高山本線代行とは違い、混雑する車内からはカメラを構えることなどできそうにありません。(もとより、こんなに多くの地元の方の中で撮ることは、たとえ座っていたとしてもできなかったでしょうけれど…)
 バスは越前東郷行、列車はひとつ手前の一乗寺が始発です。なので一乗寺からなら代行バスではなく列車を利用できるのですが、代行バスの一乗寺停留所からも人が乗ってきたのは意外でした。よく見れば、駅は集落の外れに、バス停は集落の中にあるようで、バスを利用する方が歩かず便利というコトなのでしょう。そして越前東郷着、バスから吐き出された乗客は一斉に駅の中に吸い込まれていきます。小さなホームは数十人の人で埋まり、乗りきれるのかな、という声も聞かれます。が、一乗寺からやってきた列車は2両編成で、じゅうぶん座れたのでした。

小和清水(クリックしてください)

 8時半、福井着。あとはもう帰るのみです。名古屋でお昼にするつもりだったので、敦賀と米原で乗り換えれば名古屋まで行けます。敦賀では42分の待ち時間がありましたが、ホームには先発の特急しらさぎ4号の案内放送が流れています。時刻表を繰れば、米原からもちょうどいい列車があり、そういえば683系って乗ったコトなかったな、というコトもあってあっさり予定変更。ループ線を通り、湖北の田園風景を眺め、米原から快速に乗り継いで昼前に名古屋に到着したのでした。

敦賀にて(クリックしてください)

 名古屋では、お近くに在住のふれあく氏・たかえむ氏におつき合いいただいて、お昼をご一緒しました。イタリアンバイキング、コーヒーで時を過ごし、いつしか夕刻。いつもの静岡からの373系普通列車をつかまえようと、名古屋から16時27分発の特別快速に乗るつもりでした。が、日曜の夕方、なんだか大混雑しそうな感じ。気弱になって、豊橋までこだまの自由席で先行しちゃいました。(^^; この特別快速で帰宅されたふれあく氏の情報では、身動きがとれないほどの混雑だったそうで、その意味ではこだま利用で正解だったかな。でも、豊橋から乗継ぐのは同じ列車。名古屋の混雑のせいか数分遅れてやってきました。もうそれほど混んでいなかったものの着席はできず。ま、浜松からの乗継ぎはラクに過ごせたのでよしとしましょう。


 いつもならここで締めくくりとなるのですが、今回は最後にオマケがつきました。摂津在住で数日間東京にいたおやじまふぃあ氏が東京を出発、乗継ぎで大阪に向かっているという。普通列車乗継ぎだけでは大阪まで着けない時間帯なので、ワープするか途中で泊まるか、気分次第だと…彼らしいなぁ。で、ワタクシはこの後338Mで横浜だよと連絡すると、途中で合流して東京にとんぼ返りして明日の飛行機で帰ることにしたらしい。ホント彼らしいなぁ。結局由比から乗ってきて、戸塚に着くまでずっとおしゃべりしていたのでした。


乗車駅
時刻
( )は定刻
下車駅
運転区間
列車番号
種別・列車名
乗車車両
平成17年7月24日(日)
越前大野1
0632→0652
(0632→0652)
.美山九頭竜湖
→美山
1722D
普通
キハ120 2021/1両
美山駅
上新橋徒歩
福井豪雨の記憶モニュメント
上新橋.
0725→0727
(0724→0726)
.小和清水ヴィオ
→福井駅前
京福バス
55系統大野線
1/1台
小和清水駅前
0750→0809
(0750→0809)
駅前越前東郷美山
→越前東郷
724
代行バス
西日本JRバス
531-7903
1/1台
越前東郷.
0818→0831
(0818→0831)
2福井一乗谷
→福井
724D
普通
キハ120 2031/2両
福井4
0837→0933
(0837→0933)
7敦賀芦原温泉
→敦賀
318M
普通
モハ474-412/3両
敦賀6
0948→1020
(0948→1020)
7米原富山
→名古屋
4M
特急しらさぎ4号
サハ683-25118/11両4号車
米原8
1037→1141
(1037→1140)
2名古屋米原
→豊橋
5310F
快速
サハ313-72/4両
タパス&タパス(イタリアンバイキング)
名古屋15
1633→1701
(1633→1701)
12豊橋新大阪
→東京
544A
こだま544号
326-340410/16両7号車
豊橋6
1716→1747
(1714→1745)
3浜松米原
→浜松
5114F
特別快速
クハ312-134/4両
浜松4
1748→1859
(1748→1900)
2静岡浜松
→静岡
798M
普通
クハ111-22077/7両
静岡1
1935→2203
(1935→2204)
2戸塚静岡
→東京
338M
普通
クハ372-149/9両1号車
戸塚1
2208→2217
(2208→2217)
1保土ヶ谷逗子
→佐倉
2106S
普通
クハE217-204112/15両増4号車


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