ダム湖に沈む温泉地へ
平成17年11月3日〜4日


〜その2〜
(11月4日、金曜日)

 今日は雨は降らなさそうです。早朝に起き出し、まずは大樽風呂へ行きました。こんどこそ、入浴しながら電車の姿を見ることができ、満足して朝食へ。朝食は食堂でいただきますが、こんなに泊まっていたのね、というくらい(それでも数十人ですが)いてびっくり。お腹いっぱいになったあと、すぐ近くの足湯にも行きました。川原湯温泉の源泉から直接引かれているというこの足湯、かなり熱くて足が慣れるまで少し時間がかかってしまいました。脇には温泉玉子のための槽もあって、自分で作れるよう長い勺も用意されていました。タマゴを持ってくればよかったなー。
 9時前にチェックアウト。今日のルートは、北軽井沢経由で軽井沢へ抜け、横川でお昼をとろうと考えています。その前に、昨日はぱっとしなかった樽沢トンネルへ行くと、今日は日ざしを浴びてきらきら。2両編成の普通電車が串刺しになるのを見送って、クルマを西へと走らせました。
 長野原草津口駅(旧長野原駅)からはかつて太子線という路線が分岐していて、ここを訪ねようというキャンペーンもありました。この時点では行こうかどうかまだ迷っていました。で、ちょうど分岐するあたりを走っていると、絵になりそうな鉄橋を発見。そこで特急草津を見送り、満足した私たちは軽井沢方向へと向かったのでした。吾妻線沿いの国道145号線は、長野原草津口の2つ先の羽根尾駅前で終わり、ここから国道146号線で北軽井沢へ向かいます。この羽根尾駅に立ち寄ってみると、電車が発着しない時間帯ということもあり、ひっそり静まり返っていました。

川原湯→羽根尾(クリックしてください)

 国道146号線はすぐに急カーブの連続で峠越えにかかります。が、広くて走りやすい道でした。登りきったところで長野原の町を見下ろし、吾妻線沿線に別れを告げます。
 しばらく走り、北軽井沢の町並みへ。以前、ヤロー4人でこの近くのグリーンプラザへ来たことがありますが(こちら参照)この時は北軽井沢の市街地は通りませんでした。ここはかつて軽井沢と草津温泉を結ぶ草軽電鉄が走っていた所。旧駅舎は喫茶店になっているということでここで休憩、と思っていたら、駅舎保存工事のまっ最中でした…。
 さらに国道146号線を下りていきます。浅間山が晴れた空に映えているのが見え隠れします。そして千ケ滝を過ぎれば軽井沢はすぐです。草軽電鉄の線路跡が見えないかと思いましたが、廃止されてからもう半世紀近く、やはり線路跡のようなものは見ることはできませんでした。
 軽井沢町の市街地。公民館に草軽電鉄の機関車が保存されていると聞き、見に行ってみました。が、見当たりません。公民館の方に訊ねてみると、近くの東部小学校と軽井沢駅前の2カ所に移したとのこと。2台もあったの?と思いつつ、まずは東部小学校へ。途中、しなの鉄道の踏切が見え、電車がやってきそうだったので寄り道して見送りました。
 東部小学校に着いてみると、平日ですがお休みのようで静まり返っていました。事務室にいた職員の方に声をかけ、校庭の隅にいた機関車とご対面。草軽電鉄のものではなく、信越本線碓氷峠旧線のアプト式電気機関車ED42でした。
 東部小学校を後にし、旧三笠ホテルを外から見て(笑)、旧軽井沢のミカドコーヒーへ。ここのモカアイスは隠れた名品、見ているだけで次々と売れていました。私ももちろん2つ購入して、のりのりさんとクルマの中で食べました。そして軽井沢駅前に移動し、EF632にご挨拶。ここに来るたびにロクサンへの挨拶は欠かしません。そのロクサンがいる軽井沢駅舎記念館の前に、旧草軽のデキ13がいました。

北軽井沢・中軽井沢・軽井沢(クリックしてください)

 もうすぐ午後1時。昼食は横川でのつもりでしたが、ここで済ませてしまうことにしました。駅構内には「峠の釜めし」で有名なおぎのやが経営するそば処「志」があり、旧1番線の線路跡につくられたテラスでいただけるということで、ここに決定。そばと釜めしのセットをいただきました。そして食後のコーヒーは、これまたいつも行っている「旦念亭」の水出しアイスコーヒー。ちょっぴり涼しかったのですが、こちらもテラスでいただいたのでした。庭の木の葉が赤く色づき、のりのりさんは何を思ったのかクルマへ。と、ドラぬいぐるみを持ってきて記念撮影(笑)…のりのりWORLD「今日ののりのり」参照ねっ。
 時刻は午後2時。予定よりずいぶん遅くなってしまいましたが、碓氷峠に向かいます。駅からわずか数分の矢ケ崎信号場跡のあたりから、廃止後8年たった今も残る線路を眺めていると、脇を新幹線あさまが駆け抜けていきました。そして国道18号線の碓氷峠を下ります。矢ケ崎からしばらくは新線跡は道路より下の方を通っているのであまり見えませんが、旧線の遺構は所々道路沿いに見えます。そして新線の跡も見えるようになると、熊ノ平信号場へのトンネルがぽっかり。侵入する人が後を絶たないのか、門扉にはしっかり鎖と鍵がかけられていました。そして碓氷峠いちばんの遺構、めがね橋(旧線の碓氷第三橋梁)でクルマを止めました。
 旧線の遺構であるめがね橋、かつては危険だからということで登ることは禁止されていました。そのために新線を行く列車とこの橋がいい案配で眺められたわけですが、今日では見上げると橋の上に人の姿が見えます。ここから旧線跡はトンネルを含めて「アプトの道」として遊歩道になっていました。橋のたもとに長い階段が設けられ、誰でも上がれます。もちろん私たちも上がりました。橋の上からは、新線の大きな橋が2つ眺められます。今にもロクサンに伴われた列車がやってきそうな感じがして、しばし佇んでいたのでした。余談ですが、この橋の上にもテントウムシが大発生…どーしちゃったんでしょう。
 めがね橋から再びクルマで峠を下ります。途中、碓氷湖にも立ち寄り、さらに国道から少し外れて霧積湖への道へ。新線廃止直前に何度か通った、線路と道路が並行する区間があり、立ち寄ってみました。道路から一段高いところに上り線、さらに高いところに下り線が通っていたのですが、線路はそのまま残っていました。が、保線用の階段を上ってみると、上り線の線路跡には雑草が生い茂って… しばし立ち尽くしてしまったのでした。

碓氷峠を下る(クリックしてください)

 峠の湯にも行ってみたかったのですが、すでに午後3時半をまわっていたので、横川駅前の鉄道文化むらへ。11月から閉園は午後4時半までということで、すでに閉園まで1時間ありません。旧線跡を利用して走るトロッコ列車「シェルパくん」も今日は平日ということでお休み。迷いましたが、軽井沢駅で前売入場券を購入していたこともあり、入ることにしました。客の姿は他に数組しかなく、ひっそりしていました。ですが、歴代の車両たちがずらりと並ぶ屋外展示はほぼ貸切状態、かえって堪能できたかも。そして旧横川機関区の建物だった鉄道資料館をひととおり見て、サウンドコーナーで碓氷峠のかつての音を聞いていると、閉園の時刻になってしまいました。後ろ髪を引かれつつ、今日最後の客として文化むらを出たのでした。目の前にある横川駅で、ぼろぼろになりつつあるロクサンと189系車両を眺めて、帰途につきました。

碓氷峠鉄道文化むら(クリックしてください)

 横川駅の近くのおぎのやドライブインに立ち寄り、松井田妙義ICから上信越道へ。関越道に入ってからは昨日朝の逆コース、横浜に帰宅してみれば、距離計は2日間で504キロ。1400ccの小さな愛車よ、よくがんばってくれました。ありがとう(^^) そして、行程の半分以上を運転してくれたのりのりさん、お疲れさまでしたっ。


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